nakoの日記

日記、古文書、振り返り

私の勉強観と、高校でつまらない授業を受けている話。

この記事書いた五ヶ月後に書いた記事↓

なぜ授業でノートを取らなければいけないのか - nakoのラノベ・VTuberブログ

 

テストが数日後に迫っている。

 

それはさておき私は現在高校に通っている。

 

理由はやりたいことができたからとか、そこでやりたいことができるからとかもあるが、一番の理由を突き詰めていくと、中学の時の

「周りが高校に行くから、先生がそう言うから」になるだろう。

実質的に中卒の就職なんて存在しないも同義だし、どこか高校に行くのが必須だと思って、今の高校に入った。

 

普通にまあ、楽しいこともある。やりたかったことをしている。色々な学校の中から自分で行きたいところを選べるのはとてもいいシステムだと思う。

 

入学してから「義務教育が終了して、ここは学ぶための場所、学びたい人が集まっている場所」だとかなり教えられた。教育は洗脳。

 

もちろん私も学びたいことがある。学ぶというかテストでいい点取って自己満足したい。

 

学校での勉強の中心は授業だ。これは言い切れる。

 

そして私は授業によってやる気もテストの点も上がると思っている。

 

つまり授業がつまらないとやる気もテストの点も下がると思うのだ。

 

 

 

 

中学三年生の時の話だ。理科の先生に田野先生という方がいた。少し変わった先生だった。

 

その人の授業が楽しかった。というか先生自体が面白かった。

 

最初の授業で、プリント三枚を配られた。

 

一つはなぜ理科を勉強するかのプリント。

 

究極的な問いに、「発想力」を身につけるためと書いてあった。

 

一つは過去数十年間の高校入試の理科のどの単元(分野?)が出たかの表。

 

もう一つは生徒の脳の定着率についてのプリント。

この記事を見て欲しい。

https://habi-do.com/engagement/learning-pyramid/

 

この記事の中のピラミッドの話をされた。

 

教師が一方的に教壇で授業をして定着する(定着率)のは5パーセント

 

しかし、他人に教えるということの定着率は90パーセント

 

そして他人に教えてもらううち、友達に教えてもらうと覚えやすいとおっしゃっていた。

これを踏まえて田野先生は、「自分(田野先生)が教えるより、友達に教えてもらったほうが覚える」として、「教え合い学習」としたものを積極的に授業に取り入れていた。

 

黒板を写す→先生が二言三言指示をする→教え合い(周囲の人との会話)→先生の話/黒板を写すという流れが主だった。

 

受験で一番大事なものは友達だ、とよくおっしゃっていた。孤独が一番駄目だとも。

そもそも田野先生が高校受験本番の際に消しゴムを忘れ、「友達と呼べるかは微妙だがクラスメイトが消しゴムの半分をくれた」、というエピソードが受験で友達が大事だと思うようになったきっかけらしい。

 

次に、何か疑問があった場合は授業にどんなに関係ない話題でも拾って、全体での話にしてくれた。

 

その最たる例として「今日の給食」が挙げられる。

田野先生は、

「授業に関係があるかどうかに関わらず、疑問があったら先に疑問を消化してスッキリしてから授業を受けさせたいのと、その全体の話題のときにこの授業をした、と関連づけさせたい」とおっしゃっていた。

中でも今日の給食が話題に率が異様に高かったのは当然だろう。お腹空くしカレーだったら嬉しかったし。

 

毎日の授業の条件として、

  1. ゴミが落ちていないこと
  2. 黒板がきれいなこと
  3. 話を聴くときは喋らない

の3つを挙げていた。

1は、ゴミを視界に入れると脳が「あれはゴミである」「そのゴミは関係ない」という無駄な処理をゴミが無くなるまで繰り返すため、集中力が低下するから。

 

2は1と同じで、消し跡があったときに「あれは文字でなく背景だ」という無駄な処理をするため。

 

3は、周囲の音は脳に対して優先的に「割り込み」をして、特になにを話しているかわからない声は超気になる。言いたいことがあったら、先生に言って全体の話題として共有したいから。

 

まだ語りたいエピソードがある。概念的な事象に対してはクラスでブレインストーミング(ブレスト)から始まったし、あいさつの重要性も何度も聞いた。

それまでの小中学校の授業では、気をつけ→礼→頭下げる→「お願いします」

の順だった号令を、お願いしますと言ってから礼をするよう言われた。あいさつは声を出してから動作をすると良いと。

 

受験の面接のときもその礼をすることになっていたから、社会的に間違えた礼をしていたのだろう。

ただ間違えた礼を教えやがりくださった先生方には多少の憎悪を抱く。教育委員会、なんとかしろ。

 

特に田野先生の授業ではあいさつの声量が求められた。あいさつは聞こえないと無意味だとか、元気なあいさつの方がプラスだとか。

 

田野先生はいつも一生懸命だった。

自分が中学の時、合唱に参加しなかったことを悔やんでいて、校歌を歌うときには全校で一番の声量を出していた。

 

テスト返却の授業の話だ。

テストを先生から受け取った後はとにかく仲間同士で盛り上がりうるさくなる。自慢したくなったり点数競い合ったりしたくなるし。私もそのテストに関してはそうだった。

 

大抵のパターンは、テスト返される→うるさくなる→先生一喝→解説

となるのだが、(底辺か?)私は98点で一問だけ落とし(単純過ぎるミス)、教卓の前にいる友人に見せに行って盛り上がった。もちろん近くに先生がいたので、やべ、怒られるかなと思った。

しかし田野先生は「1分くらい盛り上がってていいですからね」とおっしゃったのだ。

そして私は他の友人にドヤァ......ってして点数を掲げてみせた。ここをこう間違えたという話もした。そして二度と間違えない自信が出来た。

 

やりたいことをさせてから、やらなければいけないことをさせる、緩急のある授業

という風に感じた。

やりたいことをするというのは行動的で自分の意思でやっているから、きっと受動的にただ授業を受けているよりずっと脳にいい。

 

そして何事も「こうしなさい」ではなく、「これだからこうしなさい」という明確な理由を述べていた。

まとめると、田野先生の授業は「先生の熱意があって、自分から行動するのが求められ、友人に教わる/教えるのが脳に良くて、環境の整備から始め、まあとにかく暇じゃなかったし、食らいついていこうと思えた、参加型の授業」だった。(まとめになってるかこれ)

 

とにかく面白くて、勉強したくなる授業だった。

これまでの人生で一番の先生だ。色々なことを学び、今の私に活きている。

 

 

ここまでが前提の話(長い)。

 

もちろん中学を卒業し、田野先生の授業を受けることは出来なくなった。

 

そして現在の高校の授業である。

面白いとは言えないけど、勉強したくなる授業はある。学びたいという意識が私にはある。

 

その中で一際つまらない授業を受けている。そのB先生の授業はこうだ。

 

  1. 前の授業の続きからスタート
  2. 教科書を生徒に読ませ、内容を黒板に書き、だらだらと喋り続ける
  3. その話が長く、喋り方が単調。
  4. 生徒は黒板を写す+指名されたら教科書を読むだけ(自分から行動しない、させてくれない、発表なんかもない、考えるということをしない)
  5. 授業が途中で終わり、キリが悪い状態で持ち越し(1にループ)

 

読んでいる人に伝わっているかはわからないが。

 

感想として、クッソつまんねぇのである。

 

クラスメイトに質問してみたところ、クラスの全員と言ってもいいくらいの生徒がこの先生の授業を「つまらない」と評した。

 

クラスの中で同じ答えがたくさん出たらその答えがそのクラスの常識だ、ということも田野先生は教えてくれた。つまりB先生の授業がつまらないのはもうクラスの常識。はーつまんね。

 

授業がつまらない原因は大きく分けて二つ。

  1. 先生が悪い
  2. 生徒が悪い

この二つでこの場合は1だと考えられる。私は授業に対するやる気が元々あったのだ。

2の生徒が悪い場合は態度が悪いときの話だ。

 

つまらないと思う一番の理由は、「考えることをしない」ことだと思う。他教科と比べてもこれが大きい。私が受けている他教科とその点を比べてみる。

 

国語は黒板を写すだけでなく、その文の内容の意味を考える必要がある(質問されるし解答者はランダムだから)。

 

数学は例題→即問題というアウトプットが行われるし、問題を解くには考える必要がある。

 

英語は進行スピードが速く、発表と質問がある。そこで成績のポイントを稼げるから考えることに繋がる。

 

理科は実験という身体的体験を伴う。それは結構覚える。質問も飛んでくるし、先生のトークが良い。

 

社会は先生の話が多いが、緩急がある。あと声が眠くなる。質問もある。考えることは少ないが、途中途中で辞書を引いたりする。こちらもトークが良い。

 

受けている授業の中でB先生の授業だけが話をただ聞いて黒板を写すだけ。教科書読まされたりするがそれは読んでるだけで考えてはいない。自発的な行動が無いのだ。

 

つまり一方的な授業。そんなものはインターネットやスタディサプリの動画で受けられる。

 

インターネットやスタディサプリのバーチャルな授業と現実の教室で受ける授業の違い。

 

実際に人がいる

 

アドリブが効く

 

実際に物に触れられる

 

近くに同じ授業を受けている人がいる

などがあるだろう。

 

これらを同時に感じるなんて、今のどんな技術を使っても仮想的に体験できない

 

最近観た「レディープレイヤー1」という、VR世界と現実世界の両方を舞台とした、生活のほとんどをVR世界で済ませられるという映画のセリフにこんなものがあった。

 

現実だけが本当のリアル。現実でしか旨い飯は食べられない」

 

そう、生活のほとんどをVR世界で行なっているとしても、現実の価値、現実に存在している価値はたしかにあるのだ。

 

だがB先生の授業にはそ れ が な い

 

まるで映画を見ているような、見せられているような感覚だ。そこに自分はいない。現実感がない

 

だ か ら つ ま ら な い

 

先生に期待するな、自分を変えて面白いと感じるようになれ、と言う人もいるかもしれない。

 

ちょっとわかってしまう。

現実はたった一つだけだ。でも人によってその現実の受け取り方=解釈が違う

 

現実の世界は変わらない。ただ自分の世界、自分から見た世界(解釈)は変えることができる。

 

でも自分を変えて面白くなるとは思えない。B先生のような内容スッカスカの授業を受けるのなら別教科の勉強したほうがよっぽどいい。けど授業中の姿勢が評価に加わるんですよね。

 

そして、自分を変えて授業が面白くなるのは、授業が完成、までいかなくとも80点越えレベルのときだけだ。というかアレを授業とは形容したくない。ただの時間の浪費だ。

 

例え自分を変えたとしても、それだけじゃ意味がない

私だけが面白く思っても意味がない

クラス全員に面白さを共有して、クラスごとやる気を上げれば教え合いが発生するかもしれない。私はそれを望んでいる。

 

田野先生の授業とは対極だ。

前にも書いた通り、授業がつまらないとやる気もテストの点も下がる。つまんねー授業で私のやる気も下がり気味だ。

 

B先生は自分で自分の授業をつまらないと思わないのだろうか。いや思ってねえな。あの人40代だし、てことは20年近くつまんねー授業をしているんでしょうか。

 

私はわがままだ。

自分が見たいものしか見たくないし、自分が納得したいものにしか納得したくない

 

このつまらない時間の浪費を残り一年度分過ごすなんて絶対に嫌だ、とこの一ヶ月で思った。

 

だから行動を起こすことにした。

 

授業の問題点と改善点を紙にまとめてB先生に渡すことにした

 

テストが終わったら作業に取り掛かる。その前に、一度考えをまとめる時間が欲しかったのでこの記事を書いている。

 

やらなければ、はじまらない......

 

いい考えを整理する場となった。

 

渡した後の反応があれば、また記事にしようと思う。

 

 

 

ここからは、本文に入らなかった私の勉強観を綴っていく。抽象的かもしれないが。

 

学校で勉強するのは切符というか、制限のあるフリーパスを取るためだと思っている。

行きたい場所(目標)があるとする。そこへはきっと、死ぬほど努力すれば歩いていける。

けど死ぬくらいキツいし時間がかかる。

 

そのための切符。

辿り着くために駅から電車が出ているんだ。そのフリーパスがあれば行ける道が開ける。

辿り着く場所がわからなくても、とりあえずフリーパス持っときゃどっかいける。

わかりずらくてすみません。

 

学校で呼ばれる「勉強」なんてものはただの記憶だ。

これも田野先生がおっしゃっていたのだが、「朝来た転校生の名前を下校時に覚えていれば、勉強はできる

と。

 

勉強ができると頭がいいのは違う

 

頭がいい人は0から1を生み出せる。1から2を生み出せる。2から3を......(略

 

勉強ができる人は1を1と書ける。1から1.1を生み出せる。

 

こんな感じだと思っている。

 

ぶっちゃけ私は頭が悪い。個人的には頭が弱いと言ったりもする。

 

幼い頃に絵を描かなかったからなのか、とにかく立体感覚がない。めっちゃ階段でつまずく。体育なんぞやびゃー。自分がその動きをすることをイメージできない。超不器用。パッシブスキルとして不器用が発動している。はさみで紙を切ると真っ直ぐに切れない。授業中にめっちゃペン落とす。やびゃー。料理とかも苦手。

 

あとはなんだろう......、そう、本当の勉強は、いまあること、過去にあったことを自分の中に取り込んで、それをそのまま受け入れんじゃなくて、そう、咀嚼するみたいな......感じ。

 

なんだか最近学校っていうのは教師ガチャなんじゃないかと思ってきた。

人をつくるのは紛れもなく人だ。昨日かぐや姫見ててそう思った。じゃあ最初の人はなんなんだーと思った。やりすぎ都市伝説では神様か宇宙からの来訪者がーとか言ってましたが。

 

記憶はないが、赤ちゃんの頃の私はきっと親の姿を追いかけて学んだんだと思う。親が私をつくった。

 

勉強に関しては先生を追いかけるかなと思う。大人や周りから受ける影響は思春期にかなりあると思う。中二病なんていい例だ。ちなみに中二病はなおらない。

 

授業の仕方は教師それぞれだ。そこで差がつく。

優秀な先生に学びたいぜ......

田野先生のクローンが欲しい。

 

ここからは私のツイートを載せていく。

これはB先生の授業の話。

ハマっているバーチャルYouTuberの生放送について。

上から目線乙。

何かを行う時にこの二つがあればなんとかなる。最近自分に自信がついてきて、世界がちょっと色づいた気がする。

これ。

重い。

これ。

これまたB先生の授業。普段生徒に質問しないのに、いきなり質問してきたのである。そしてこの先生はこう放ちやがりました。

「誰か(答えてくれる人)いないの?積極的に発言しようね」

ファーwwwwwwwwww

じゃあ積極的に発言できる空気を作れってんだよwwwwww草wwwwwww

という感じで、机に突っ伏してくつくつ笑っていた。先生には寝てるように見えたようで、持っていたファイルで頭を叩かれた。

後ろにいたクラスメイトには授業後、

「笑ってたでしょ、笑ってたことに笑った(笑)」

「むせてたでしょ(笑)」

なんて言われた。ソーリー。

草に草生やすな。言葉には気をつけろ(自戒)。

よいかもしれぬ。

思う。

友人との会話に少しの英語を使うとか、「今日マジ暑くね?マジヒートアイランド現象」みたいな感じ。

思う。

気がする。

 

ここまで。

 

私はまだ高校生だ。ガキだ。でも学生でいられるのはもう残り少ない。学生のうちはこう、心が変われる時期だと思う。だからいまのうちに心というか、こう、高尚なことを考えて未来への投資にしたい。

 

過去記事。

 

終わり。

 

2018/05/19