nakoの日記

日記、古文書、振り返り

「ペンギン・ハイウェイ」を観てきた。感想・妄想・考察?ネタバレ注意

ペンギン・ハイウェイ」公式

映画『ペンギン・ハイウェイ』公式サイト

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原作小説も含めてネタバレしつつ感想と考察を書いていきます。考察はまだまとまってないので支離滅裂です。

 

これは個人の感想なので、文末に「~だと思います」が省略されているものとして読んでください。

 

原作小説を半分ほど(ep3、森の奥の五分の一くらい)まで読んでから劇場に足を運びました。デッデデッデッデッデッデッデッデww(映画泥棒のモノマネ)。

 

感想。

作画よし、声よし、音楽よし、総合芸術かな?(その通り)僕は感想を書くのが不得意なので支離滅裂に書いていく。感想じゃないかもしれないけど許してください。

アオヤマ君の研究室(部屋)。上から部屋を見下ろすアングル映る白と黒のパネル?のマット?(アオヤマ君は正方形について研究していた、小説より)小説のノートの内容が書いてあった。あの文字はどう描いているんだろう・・・。方眼ノート。僕は書くのに方眼とか後ろに何かあると脳が疲れてしまうので横罫線だけのルーズリーフ・ノートを使っている。ドット入り罫線のルーズリーフを許すな。東急ハンズまで行ったんだよなぁ。この日(多分朝)の大人、二十歳になるまでの日数は三千八百八十八日。3888日。大人になるまでの日数なんて数えたことが無かった。小学四年生で頭が良いのはお父さんの影響かな・・・。

 

感想書くのはきついというか記憶ガバガバなのでスマホに残ったメモを書く。

 

ペンギン・ハイウェイ🐧

オープニング、ペンギンが街を散策、森を目指している、そのときの金管楽器の盛り上がり

アオヤマ君の家、白と黒のマット、正方形

お姉さんのおっぱい

お姉さんのおっぱいの谷間とかしわの表現、呼吸することで揺れる

おっぱいケーキ

ウチダ君が少し馬鹿そうに、多分アオヤマ君を引き立てるために、最後の自分から踏み出していく姿

ビンタ

「Good Night」

後半の勢いで頭を使わなければならない

世界の果て

崖の上のポニョみたいな

子どもの世界、研究に大人が介入していく

ディズニーのオールスター映画、冬

スズキ君、帝国が味方になる激アツ演出

セガキィ!

お父さんナニモンだよ

死を知ってしまった妹

お姉さんが少年と言うときとアオヤマ君と言うとき、アオヤマ君は二回

レゴブロックの再現、あのパーツみたことある

断食、お母さん

カットされたシーンは中に入っている

夏休み、どこがで原作とズレた?

お姉さんは人ではない、死んでいた、この世界のものではない、海辺の街、海辺のカフェ?看板に書いてあった

チェス

子どもの秘密基地みたいな

あのシーン、明るさによって生き物のシーン、雲の切れ間から太陽が出てきてコーラ、あそこに惹かれて観に行った

走れアオヤマはお姉さんが言っていると思っていた

世界五分前仮説

クラスがモブなのにちゃんと描いてあるなーって思ったら全員に名前があった

背景 世界の果ての電柱じゃない、送電線の鉄塔みたいなのほんまにリアルの写真映像かと思った

ヨーロッパ企画、わかってるけどやってくれたな

はじめの今日計算してみたら→3888日

ハマモトさん、壁を壊す

エウレカ

私の謎を解いてごらん

非常食🥫

傘は相合傘みたいになっていた

それはすてきな課題を見つけたね→チョコレート、苦いコーヒー

最後にもコーヒーを飲んでいる

アオヤマ君はおっぱいが好きだから、お姉さんのことが好きなんでしょ?

ぼくがおっぱいが好きであることを認める。でもお姉さんを好きであることはべつだ

でもお姉さんにはおっぱいが存在してる

おおいに存在しているね!

もういい!

永遠に流れている川

最後、3748日

3888

3748

140

 

ここまでメモ。

おおいに○○しているね!←汎用性ありそうなので使っていきたい。まあつまりおっぱいなんですよね......。お姉さんのおっぱいへのこだわりをしっかり感じた。あとはウチダ君が原作にあった宇宙、ブラックホールへの興味が描かれていなかった。あと「死とは何か」とかね。監督だかのインタビューに原作者に聞いたところアオヤマ君の頭の良さは描いて欲しいというところから比較して良さを感じさせる為に探検しているウチダ君の頭良い描写を省いたのかな。アオヤマ君の妹が「お母さんが死んじゃう!」と言って人の死をわかりはじめてしまったの、自分は特に人が死ぬのを認識したのがいつかわからないし衝撃を受けたこともないけど、他人はどうなのだろうか。人の死を理解したときの心理をのぞいてみたい。小説から気になったところをホワイトボードに書き写しては写真を撮り消して書き写してはを繰り返しすべての気になったところを写真に収めた。ここからノート、いやルーズリーフを使う。ノートだとページが分けられるとそれぞれのページを一度に見ることができないことがあるのでルーズリーフを使う。違うページを同時に見たいわけではないときにノートは良い。

 

果たして海はただの舞台装置だったのか?

 

原作にある「ウチダ君の研究」

映画観てきた感想だろ原作とか知らねぇよという意見もごもっともだろうが一緒に本も読んだので書きます(原作者か監督は原作と映画は別物だと言っていた)。

ウチダ君の研究とは、「死ぬっていうのはどういうことか」。

結論は、「ぼくらは誰も死なないんじゃないか」。

自分は死んでも他人は生きている。

自分は死んでいるので生きているみんなを考えることができない。

自分の死と他人の死は全然違う。

僕は頭が悪いので自分にわかりやすく書くと、

①自分の死によって観測できる世界(自分から見た世界)が終わり、考えることができなくなる。(死んだということを考えられない?)

②他人が自分の死を観測したとしても、自分にとっての死かはわからない。

①、②より誰も死を観測できないから、ぼくらは誰も死なない。

ちょっと僕ガバガバ証明過ぎますけどね。

しかしウチダ君も頭が良いですね、死を観測できないから死なない。生きていると思っている内は生きている。ん?これってお姉さんの正体にも関わってくるんじゃ......。ぼくはペンギンが最初に空き地に現れた時バイクがあったので、お姉さんは生前バイクで事故に遭い〜というのを妄想してました。

これを映画でカットしたのは時間がかかるしウチダ君の頭が良い描写を除いてアオヤマ君の天才少年ぶりを引き出す為?たぶんこの理屈は本編のどこかのキーワードになっている気もするんですよね、無駄な話を載せる意味は紙を無駄遣いしてしまうので、どこかのヒントになる、はず。

 

エウレカ

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Eureka

つまり「分かった!」という意味の感嘆詞。

アオヤマ君のお父さんが言っていた言葉ですね。フランスに行く時のバス停。関係のあることを一枚の紙に小さく書く。四六時中それを見る。あるときふと分かるようになる。アオヤマ君は、それでもわからない時は?と聞くと、

考えないこと/遊んでいればいい

と言います。

考えないことが映画で、遊んでいればいいが小説です。何故ここで違いが生まれたのか。

Good Night

エンディングに流れる宇多田ヒカルさんの「Good Night」。めいきょく。いい夜を、おやすみなさい、という意味だが、原作小説P120に海辺のカフェのマスターが、アオヤマ君が「待ちぼうけ」になりチェスをした後の発言に「ぐんない」とある。その後アオヤマ君はお父さんに意味を聞き、おやすみなさいという意味だと知る。そしてP143、アオヤマ君は眠たげなお姉さんに「ぐんない」と言う。そうしてお姉さんは「まだ夜じゃないよ」と返す。P175、お姉さん「ぐんない」。お父さんがフランスに行く時のバスのシーンで原作ではお姉さんが登場し、別れる時にお姉さんが霧の向こうで何か言うがアオヤマ君は聞き取れない。そして、映画では一度も「ぐんない」は出てこなかった。これはどういうことなのか、解釈が分かれて楽しそうですね。

 

僕は霧のシーンでお姉さんが「ぐんない」と言ったのではいかと妄想しましたが、まあその時は朝なのでおかしいですね。

あとはGood Nightの歌詞からして、歌詞は未来のアオヤマ君視点だろうと想像しました。

 

ああ 愉しげに埃が舞う
ああ 久しぶりに開いたアルバム
Hello 君が見ていた世界
謎解きは終わらない
Goodbye
Goodbye
Goodbye
Goodbye
Goodbye
Goodbye
Goodbye
Good night
ああ 無防備に瞼閉じるのに
ああ 夢の中に誰も招待しない君
Hello 僕は思い出じゃない
さよならなんて大嫌い
Goodbye
Goodbye
Goodbye
Goodbye
Goodbye
Goodbye
Goodbye
Good night
この頃の僕を語らせておくれよ
この頃の僕を この頃の僕を

「Good Night」(ぐんない)は、小説で言えて、映画では言えなかった言葉(カットされた?)です。たぶん。アオヤマ君は未来でお姉さんに会えると思います。

 

まあこれがどう意味するのかはわかりませんが、僕の妄想としてはアオヤマ君は中学校に入学し英語を学び、ぐんないがGood Nightであると知り、未来で会ったお姉さんに「Good Night」と声をかけておやすみする、みたいなのですかね......。何かしらのメッセージかが隠されているような気もしますが。じゃあ映画はどうなるんだって話ですし。

 

ペンギン・ハイウェイ

「ペンギンハイウェイ」とは、ペンギンが海から陸に上がる時に決まってたどるルート、だと作中でアオヤマ君がノートに書いています。

そしてお姉さんとの作中最初の邂逅であるスズキ君に何を吹き込んだのか聞きにいって雑誌を取るシーン、最後にはお姉さんが雑誌のペンギンの写真を眺めながら「これちょっと君に似てるねえ」「ちっちゃいくせして気取っちゃって」、お姉さんからの葉書には雪一面の世界に一羽のペンギンの写真、矢印で「ここに君が立ってる」。ここで僕はアオヤマ君=ペンギンなのではないかと思いました(単細胞)。だとしたら、ペンギンハイウェイとは、アオヤマ君が海から陸へ上がるルートと言えて、海→陸というのは生物の進化の過程と作中でありますし、アオヤマ君の成長、進化、人生(ルート)と言えるのではないかなぁと。まあ最後のアオヤマ君のシーンで明言されているような気もします。「ぼくはどのようにしてペンギン・ハイウェイを走ったか」あと世界の果てに続く道はペンギン・ハイウェイであるというのが個人的に納得のいくものになっていないのでしばし考えます。世界の果ては折りたたまれて内側?お姉さんは最終的に世界の内側にいるのだろうか。単純にペンギン・ハイウェイ調査のことだろうか。映画のオープニングのペンギンが〈海〉を目指しているからなぁ、そこまでの道をペンギン・ハイウェイとするなら世界の果てに続く道はペンギン・ハイウェイである。うーん。ちょっと浮かばない。自分の思考を文字にするのはたいへん難しい、やはりアオヤマ君は頭が良い......。