nakoは生きものだ

消費者、ティーンエイジの残弾、日記

「#春から〇〇」に相次ぐいいねの波は居酒屋のキャッチーに話しかけられるのに似ている

 そんな気がしませんか。

 

 自分という存在ではなく、「通りすがりの歩行者」/「〇〇大学の合格者」というだけである程度の興味が寄せられていて、一定のアクションが自分に伝わってくる。

 

 「数打ちゃ当たる」原理を自分に適応されている感覚がする。別にそれが気に食わないわけではないが(自分もよく人にしてしまうし。)、うーん、今フォローしていく人の中に仲良くなる人がいるんだろうか。

 

 ......と考えたところで、自分の中・高の交友関係の30%くらいはTwitterが占めていたことを思い出した。連鎖的に中学時代のTwitter上での黒歴史をフラッシュバックしてしまったのは精神衛生上大変良くないが。

 

 振り返ってみれば自分の半生を語る上でTwitterはもはや必然的に登場するコミュニケーションツールだ。とりあえず同じ学校らしい人をフォローして、そこから仲良くなったことは何度もあったではないか。何故その体験を大学入学前になって忘却しているのか。キラキラ大学生への反抗心か。あるいは単に大学生活に希望が持てていないからか。

 

 ただここ数ヶ月、正しくは入試1週間前くらいから何にも身が入らないのは事実だ。正直言うと入試対策なんてせず共通テストまでの1週間を過ごした。やったことといえばkindleでセールだった小説を一気読みしていたのと、シャニマスをプレイしていたくらいだ。ああ怠惰。

 

 

 コロナ禍の大学生活を約1年経験した先輩が「Twitter以外をきっかけに大学の友人ができることはほぼなかった(ので大学アカは有用)」とツイートしていらっしゃったので、まずは悲観的にならず運用していこうと思う。

 

 とりあえず大学用のアカウントはフォローとフォロワーを増やして自分の環境作りに勤しんでみることにする。Twitterはキミだけの理想のタイムラインを作るゲームだから。(でも最近は"枠珍"とか"普通の日本人"とかで検索して地獄を覗いている。ミイラ取りがミイラにならないことを祈っていてほしい。)

 

 https://open.spotify.com/track/2zrZfVd4NWMHrNFiQC4kME?si=LhAeCxZeTy-HlGwgMe5ygw

 

 tacicaの「HALO」を聴いて1日を過ごした。

 

 "又性懲りも無く目指しちゃった

  アナタからは只遠退く日々

  先送りになる安らかな眠り"

 

 という歌詞が、どうにも自分の胸に突き刺さっている。ここ最近は目指す道標もなく自堕落に過ごしている。高校生活で輝いていた瞬間の自分は確かに存在したはずなのに。目指さなくても距離は遠くなっている。

 

 僕は死ぬように生きていたくはない......。