nakoは生きものだ

消費者、ティーンエイジの残弾、日記

ピ

『RE:cycle of PENGUINDRUM 後編 僕は君を愛してる』を観たので、書くべきことを書こうと思う。

 

いまだに途中の実写(VFX)シーンをどう解釈すればいいかわからないが、とにかく書きたいのは、最終盤の新規カットのシーンだ。

 

TVシリーズ第24話の中盤までの内容(ピングドラムの受け渡し)を読んだのちに、子どもの晶馬と冠葉がした行動について書こうと思う。

 

相変わらず眞悧は「君たちは何者にもなれない」とか「絶望するだけ」とか「何も残せない」とか「この世界をやり直そう」とか言うのだけど、ここで高倉兄弟は前半から繰り返し言われてきた「なすべきこと」をすることになる。つまり、運命の乗り換え後の世界に陽毬のぬいぐるみ(と手紙)を送ることだ。

 

本を読み終えて、一度物語として距離を取ることで自らの根拠(=何者であるか)を取り戻し、その上で「今やるべきこと」をなす展開は良かったと思う。単純化すれば、一度過去全体を距離をとって捉え、その上で今現在なすべきことをすることで、社会的な要請とは別に「何者かになれる」ことが示されていて。

 

乗り換え後の世界にぬいぐるみと手紙を送ることによって、確かに彼らが残したものがあった、というのがよかった。眞悧が言う「君たちは何も残せない」の反論になっていて。とにかくやるべきことをやれば(社会的な要請とは全く異なる次元で)何者かになれる、のかもしれない。

 

【予告篇】輪るピングドラム 劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM 後編【7月22日(金)公開】 - YouTube