nakoは生きものだ

消費者、日記

成人式

すべてが途中の状態で中断されているかのような感覚がある。未達成のままであるいくつかのタスクが、脳のリソースを使っている。さながら特に役にも立たないのに動作が重くなる常駐ソフトのようだ。机の上にある『「非モテ」からはじめる男性学』は70%読んだところで止まっている。借りた『読んでいない本について堂々と語る方法』は、借りるのが2回目にもかかわらず、50%しか読んでいない。また、累計3回借りている『日常的実践のポイエティーク』は、10%も読んでいない。

 

読んでいない、という状態にも様々ある、グラデーションがある、というのは、『読んでいない本について』を半分ほど流し読みしたので知っている。まあ、前書きと目次と後書きをさらっと読めば、読んだ、と分類しても良いかもしれない。ともかく、そういう、借りた・買ったはいいが全編流し読みをしていない本の数々が、脳のリソースを喰っているような気がする。あとは、OSの再インストールに失敗し、もう起動できそうにもないノートパソコンのこととか、8話まで見たはいいもののその後を見れていないアニメとか、もうすぐ劇場公開が終わりそうな映画とか、ウォッチリストにとりあえず入れた映画のこととか、人間関係、親族関係、就職、労働、金銭、努力、未来、a beautiful star......。脳のリソースのショート(不足)は、一向に解決しない。これらのことを考えるだけで頭が痛くなる。酒でも飲んで意識を飛ばしてしまおうか。

 

今日は2023年(令和5年!)1月8日。成人式に出席した。きちんと出席するために、年明けから生活リズムを整えてきた。朝に起き、夜眠る。朝にはインスタントのコーヒーを淹れて、日経電子版を読む......のような。その間、風呂に入れなくなったり、歯磨きをする前に寝てしまったり、過去最大級の異常な眠気に襲われることがあったにせよ、ともかく、今日は6時にむくりと起きれたのだった。

 

成人式には出席しようと、前々から考えていたが、だんだん、嫌になっていく自分もいた。いや、当日の朝だって、めんどくさいめんどくさいといいながら、約2年ぶりのネクタイに挑戦するなどしていた。シラフでは行けないと踏んで、コーヒーを二杯飲んで、カフェイン酔いを起こすことにした。コミュニケーション能力を一時的に向上させる方法は、徹夜か、カフェインか、である。

 

何が嫌だったのか。それはやはり、同年代の成功、いや、単に、自分より幸せそうで豊かな人間を、自分から見にいくのがつらかったのかもしれない。彼らを一瞥すれば、容姿だとか服だとか喋りかたとか、色々なもので、自分より優れていそうだ、文化資本社会関係資本がうんぬん、と考えてしまう。そういうのが嫌だったのもある。

 

というよりかは、単に、自分の漫然さというか、消極性、主体性のなさを、同年代の人間を見ることで再認識してしまうのが怖かったのだ。恐ろしかった。手に職のあるもの、目には見えない幸福を生きているもの、中学卒業からの5年間、確かなものを積み重ねてきたもの。つまりは、自分の無能がはっきりしてしまうことが怖かったのだ。これまで、積み重ねを放棄し、挑戦から逃げ、他人より優れている部分を作り出すために相手を見下したりするような、自分と出会ってしまうことを......。

 

そう、恐ろしかったのだ、旧友や恩師と顔を合わせられる(コロナ禍だからそれはいっそうに!)ことは素晴らしいことだし、少しは、元気な自分の姿を見せたいというのもあった、それは本当に素晴らしいことであるはずだ。が、しかしそれと同時に、自分の無能が明らかになるという、自分が避けてきたものそれ自体に対面することにもなることが予想された。それが、嫌だった。

 

自分に確かなものが何もないという感覚を抱えながら会場に向かった。徒歩で30分ほどだった。革靴を履いていたが、歩ける距離だと思った。直接、成人式に向かう、という意識では気分が盛り下がる一方だったので、たまたまスーツと革靴で散歩をしていたら、成人式の会場に迷い込んだ、という気持ちで家を出た。

 

会場までの道のりはひとりだったのだが、会場に近づくにつれ、スーツ姿の男7人が自分の前を歩いているのに気づいた。ちんたら歩くな、と思いつつ、抜かすわけにもいかず、一定の距離を保ちながら進んだ。会場につくと、遠目に友人の姿が見えたので、とても安心した。

 

それからは旧友、と言っても年に何度か会う人が多かった、と幾らか話をした。人生がつらい、みたいな話もした気がする。中略してしまえば、式に出て良かったという思いが勝つのだが、しかし、つらい、帰りたい、という思いも、はじめのうちあった。

 

自分の無能が、無能さとの対面が不可避になり、ひたすらつらく、小中学生時代のトラウマのフラッシュバックもあった。何より、もうすぐ10代が終わるという不安に駆られた。20歳になれば取り返しがつかなくなる!という思いが漠然と強くなった。何の取り返しかはわからない。人生とか無能さとか、その辺の言葉を雑に代入できる。これは1日を終えて、日記を書いている今でさえある。もうすぐ何かが書き変わって、永遠に変更不可能になってしまう、という、謎の焦り......。

 

式については、暖房が効いていて二酸化炭素濃度が高くつらかった、くらいか。久しぶりに式と呼ばれるものに参加したので、式というやつはこういう時間感覚だった、ということを思い出したりした。

 

終わった後はお世話になった先生や、何年も会っていない人と話したりして、会場を後にした。友人とカラオケに行った。おしまい。

 

行く前は嫌だと思っていても、行ってみれば案外楽しい、ということがある。今回もそのケースだった。オチのない文章だし、カットしたところもあるが、今日はこのような感じだった。