nakoは生きものだ

消費者、日記

2023.5.21

やることもやるべきこともたくさんある。今月の頭に買ったメモ帳(Rollbahn)にやることをざっと書いて整理した結果、まずこのように日記を書くのが最優先ということらしかった。

 

昨日の昼すぎに起きてから寝ていない。昼に起きれば夜眠れない。そのような生活リズムを......リズムというより、むくりと起きたと思ったら床に這う、起伏という起伏が一瞬しか見られない日々を送っていた。ここ3週間くらいの話だ。

 

リビングから漏れ聞こえる漫才(コント?)番組のうるささに耐えられず耳にはイヤホンが装着されたままで、何かから逃げるようにiPadスマホとSwitchを触る。この3週間はゼルダYouTubeと麻雀とポルノで構成されていた。大学のだの字もない。実際、出席すべき12日間で大学に行けた日数は3日だ。ひどい。

 

とにかく今日はそういうことを置いておいて、年2回開催される文学フリマ東京の日だったので、気になる本を買うために昼前に家を出なければいけなかった(多くのサークルは通販もあるけど)。会場の開場は12時からなのだが、はじめは結構並ぶので、その混雑が解消するタイミングで到着したかった。計3回目参加となる文学フリマなので、そういう調整は結構うまくいった。

 

今日でなんとかしよう、と思っていた。家を出る時間を見極めて、まだ行ける、まだ行ける、とゼルダのストーリーを進めていた。もうダメだな、というタイミングで服を着替え歯磨きをした。前日のうちに、風呂場に入るまで4時間かかったが、入浴と爪切りだけは全力で終わらせていた。髭を剃ることは叶わなかった。

 

最近は入浴や起床や歯磨きや、メッセージの返信や周りの人への感謝ややるべきことをただやる能力などが限界まで低下し、人間らしさを損い続けていた。そういうこと全部を──いや3割くらい、今日でなんとかしたいと思っていた。文学フリマという、人が集まる場に行けばなんとかならんかな、というあてのない願望を抱えつつ、定刻通りの電車に乗り込めた。

 

文フリ(文学フリマの略です)では事前に決めていたサークルを4つ巡って、残りの余った予算で気になったものがあれば買おう、というような流れになった。細々とした予算を思い切り使い切った。こういう即売会はかなり苦手なのだが(立ち読みし始めた後の動きとか、複数人での会話になるとか、知り合いの知り合いの知り合いと話すときとか、そもそもサークルの売り子にどういうことを言えばいいのかとか(お金を出して「ありがとうございます」だけで良い)、とにかく不定形のコミュニケーション(そもそもコミュニケーションは不定形だろう)に参ってしまう)、苦手なりに毎回楽しめている気がする。買うものリストを埋めた後はゲームのマップを埋めるかのように、会場の端から端までを移動して、一通りのサークルを見てみる。そんなに立ち読みをすることもフリーペーパーを受け取ることもせず、ただ流し見ていく。たまに「お、これは」みたいなのを見て足が(勝手に)止まるので、「すみません」とか「こんにちは」とか言いつつ見本を読んだりする。良さげだったら買ってみる。など......。

 

結局そのマップ埋めでスターバックスについての個人誌と、100円の蛇腹メモ帳を買うこととなった。買うかどうか迷っていたエリーツの新刊も買った。予算を使い切った。

 

そこそこな重さになった戦利品をトートバッグにつめ(同人誌なのに何冊か分厚すぎるだろう)、会場を一周した分の確かな疲労をふくらはぎに感じつつ、外の適当な日陰に腰掛ける。まだ4時前でかなり明るい。ので、電車に乗っていた時に思いついた「なんとかするプラン」その1である、「水筒を買う」を実行することに決めた。この3年間水筒を持たずにペットボトル生活を送っていたが、そのような金銭的負担の激しい生活も終わりにしたかったし、砂糖が入りまくった液体をぐびぐび飲むのもやめたかった。飲料業界の陰謀に......陰謀というわけではないけれど、砂糖入り飲料という魔力に囚われ続けていたのをやめようと思った。そこで水筒を買う。そんなに冴えてはないやり方でも、とにかくなんとかしようと思った。なんとかするという言い回し自体に、気合が入っていない、足が地面についていない感じがする。

 

そしてこの1ヶ月はコーヒー抜き生活を送っていて(代わりにコーラとアルコールの摂取量が増えたので、カフェイン摂取量は変わらないばかりか、砂糖とアルコールによって気分の変調が激しくなっている感じもする)、そろそろうまいコーヒーが飲みたい、飲みたすぎる......となり、中目黒にあるスーパースターバックスに行くことにした。水筒もグッズで売っているし(高いけど!)、うまいコーヒーも飲める。

 

ただ文フリ会場の流通センター駅から中目黒駅までは電車を乗り継ぐと1時間弱で700円800円かかり、それでコーヒー台賄えてしまうな......と思った僕は、はじめてレンタル自転車を使ってみることにした。シェアリングエコノミー(笑)である。

 

docomoのバイクシェアというアプリをインストールしてみて、クレカを登録して、自転車に貼られたQRコードを読み込む。......などして、流通センター(大森海岸)から中目黒までの旅が始まったのである。

 

いろいろ省くが、この自転車移動はかなり良いものであった。歩いているだけでは感じられない動くことの気持ちよさもあった。普段使わない脳や筋肉が酷使されていく感じは、普段の自分を抜け出せたかのような錯覚だったし、久しぶりに自転車に乗ってもそこそこ安定して乗りこなせる自分の体というハードウェアに少し感動した。なんなく(一度転びかけたけど)(様々な困難もあったが)運転できる自分に、そういう風に、自然に物事をこなして毎日を過ごせたら、と思った。そううまくは行きません。

 

1時間強くらい、大森海岸─馬込─五反田─中目黒、という都内の下道を自転車で駆けた。気分が良くなって(そういう興奮される効果がある、自転車には)、口笛を吹きながら、ぼーっと半ば瞑想状態のように過ごしていた。

 

文フリ会場を歩き回ったのに加え、1時間強も自転車に乗った結果、iPhoneに記録されたアクティブエネルギーの数値は、計測が始まって以来過去最高だった。

 

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レンタル自転車、結構良かった......。スマホの充電がなくなってきたので飛ばし気味で書くと、スタバでコーヒー豆とフレンチプレスと水筒を買って、ついでにコーヒーとクロワッサンを胃に入れた。徹夜のコーヒーは若干ハイになってコミュニケーション能力が上がる......というか恥のハードルが下がるのが良い。店内でタスク管理っぽいことをやって、このように日記を書き始めたのであった。(2700文字)

 

ps.結局レンタル自転車は600円くらいかかったので、疲労と天秤にかかれば電車移動の方が良かったかもしれない。ただ、電車では得られなかった楽しさが確かにあった。

2023.4.25

今日はダメだった、というか自分でダメにした。起きたら家を出る時間を当に超えていた。30時間越えの稼働時間とアルコールと脂っこいラーメンを食べた血糖値上昇によって12時間睡眠を軽々とこなした。アラームをかけるのを忘れていた。起きれるだろうという油断もあったし、アラームで起こされたくないという意地みたいなものもあった。

 

図書館の返却日を破り、いろいろな提出期限を破り、信用を損ない、いま起きている。自分の無能が原因ではあるが、そもそもこれは無能そのものより、無能なままでいる、無能をなんとかする気がない精神性が問題だと思う。能力の問題ではない。性根とか人間性とかいうものの領域に近い問題だ。いや、むしろそういう能力といえるかもしれないが......。

2023.4.24

どうやら僕が人並みに稼働できるのは週3日だということがわかった、先週は月火水と大学に行って、それからはずっとどんより、置物のように横たわっていた。連続で稼働するのは3日が限界で、その3日間に書き出したタスクを全く済ませられないまま、また次の3日間を迎える。

 

今日は授業が二つあるだけだったが、なにぶん寝ずに授業に出たので眠かった。家を出る時に噛み始めたガムはとっくに味を失っていて、ひたすら顎を動かすためのパーツでしかなかった。

 

ところで寝ないための課金コンテンツは、コーヒーやエナジードリンクでなくて、ガムである。ガムを噛み、顎を動かして、唾液を分泌し、脳を覚醒状態のままにしておく。よく眠る以外の方法があるとすれば、眠らない方法は、ガムを噛むことだろうと思う。

 

しかし僕は全然寝た、映像を見る授業というのは、良くも悪くも見る映画次第なところがある、これが大作映画だったら眠っていないのかもしれないが(そういえば去年か一昨年、『DUNE』のエンドロールで思いっきり寝たことを思い出した)、あいにくNHKの金融系のドキュメンタリーともなると、うつらうつらしてしまうことだってある。

 

授業終わりに高校からの同級生にばったり会って、そのままご飯を食べた。店内写真NGのうどん屋、少し混んでいたが安くて早くてうまい、ボリュームもあって、これは通うかも、と思った。今度は夏に来て冷たいうどんを食べたい。

 

それからアルコールを飲んだり店をぶらついて、地元近くでラーメンを食べた、授業終わりからが楽しい1日だった。

 

かわりにやるはずだった多くのタスクは明日に持ち越された。とにかく今日は寝よう。今週は4日間動いてみることにしよう。とりあえず木曜日まで。それが終われば、映画を観るもよし(マリオがよさげじゃない?)、街壁を読むもよし(5ページ読みました!)、認知リソースを回復させるために書類の類や病院に行くもよし、僕は週末にかけての可能性が無限に膨張してゆく。

2023.4.19

朝起きる、寝たのは3時とかで、5時間しか眠れなかった、帰りの電車でこれを打っている、なぜだかほとんど限界な状態だ、何せ乗り換えの足が遅すぎた、歩幅が短すぎた、これらは明確に疲労あるいは限界のサインだ、

 

疲れるほど大したことはやっていないが、疲労の原因はサウナに入ったことだと思う、授業終わりに最近湯船に浸かっていなかったからとサウナスパに行き、お湯に浸かることを第一目標にしつつ、サウナもそこそこに楽しんだ

 

が、僕とサウナの相性は悪い、3セットもするとだるくなるし、一時的に耳がおかしくなる、だから1セット5分もないような浅いサウナを楽しんでいる

 

が、やはり水分が体から抜けた感じが大きいのか、まあだいたいだるくなる、今日は風呂上がりはだるくなかったけれど、自習室で英語の論文を漁っていたとき、ずん、と肩に疲労の塊が乗っかったような感じがした、ほぼ同時に右目の炎症がひどくなった、体と心がだるさでいっぱいになり、自習室を後にした

 

駅まで足を引きずって、途中のドラッグストアに入って、いろいろ買わなければいけないものがあったはずだ、もう実質ない歯磨き粉にもう実質ない化粧水、もう時期汗を書く季節なのだから制汗剤、それからとうの昔に切らしている日焼け止め、いろいろあったのに買わなかった、店には入れたのだけど、色んな商品を見て比較検討する認知リソースが余っていなかった

 

本当に僕がやるべきこと(「本当にやるべき」とか「本番」とかいう言葉はなるべく使いたくない、なぜならそんなものはないから)は、日記じみた文章をスマートフォンに入力することではない、いやむしろ全く真逆だ、スマートフォンを捨て去って、認知リソースの回復を目指して、今まで無駄にしてきたいくつもの訓練の機会を取り返す──まではいかなくとも、毎日それなりに過ごせるようなことにリソースを割かなければいけない、効率的な紐の結び方とか(それはどうなのだろう)、事務手続きの苦手をなんとかしたり、締め切りを守れるようにしたり、朝わーわー言わずに準備をしたり、病院に行ったり、睡眠の質を向上させたり、それこそまさに就活(くそったれ)みたいなこともそうかもしれない

 

高校時代の国語の少人数授業のグループワークかディスカッションか何かで、以前から思っていた「自分は毎日をやり過ごすように生きている」と発言したことをよく覚えている、それは3,4年経った今も変わっていない、毎日をなんとかやりすごし、将来の──というより明日の予定も1週間の予定も今月の予定もよくわからないし、さらに言えば何かを計画し、実行する能力が乏しく、またその訓練の機会を眼前に示されながらもことごとくスルーし続けた自分という、無能で性根の腐った人間に飽き飽きする、そういうふうに自分を評価しているのも、なんというか、やめた方がいいように思う、

 

疲れた体でパスワード変更の手続きを2回もした、ストレス、

 

疲れ果てた状態でリクナビに登録して、もうどうでもいいので何もかもを終わらせてください、と思った、住所入力の数字が全角入力を求められただけでイライラしている、なんなの

 

また乗り換えだ、階段で転ばないようにしたい、そう、僕は階段で転ばないように、ただ水を飲むだけでむせないように、気づかないうちに靴紐がほどけないように、そういう風に生活を送りたい、

季節の話

春は花粉があるから生きづらい。絶賛花粉症の症状に苦しんでいる。部屋に篭るだけならいいが、外に出て、特に電車に乗ると酷くなる。人の服についた花粉が.......というやつだ。今では電車は窓を開けて空気の入れ替えをしているが、それはむしろ花粉を取り込んでいるのではないだろうか。

 

自分の花粉症の症状は主に目と脳みそで、起きると目が辛い(いわゆるモーニングアタック?)(ハウスダストなだけかも)ことがほとんどだ。鼻にはあまり出ない。大抵は頭が痛くなって気が狂いそうになる。脳が痒い。この前は本当に気が変になってしまって、1時間ぐらい「あーー!!」とか叫んでいた。

 

電車という花粉増加マシンにかけられると、度が超えているのか、鼻にまで症状が出てしんどくなる。今ちょうど電車に乗りながらこの文章を書いています。

 

眼科に行くべき。いや花粉症なのだから耳鼻科か?

 

夏は暑い。生きづらい。

 

秋は一番過ごしやすい。季節の変わり目には体調を崩すけれど、それを乗り越えさえすれば、適切な服装に悩むくらいで、楽だ。ただ秋は一瞬で過ぎ去る。秋かな、と思ったらすぐ冬に入る。短すぎる。四季と言うのだから、3:3:3:3ヶ月ごとに振り分けられていて欲しいものだけど、実際は春から2,5,1,4の感覚だ。春は2ヶ月経てば暑くなってきて夏を感じ、夏はひたすら暑さが続き、涼しくなってきたと思ったら秋は一瞬で過ぎ去って、寒い月が続く。

 

冬は寒い。日照時間が減る。鬱ぎみになる。最悪だ。僕は昔、冬が好きだったはずなのだけど。

 

日記の話だが、2月の間は全く書けなかった。送信する場がなくなったら途端に続かなくなった。3月は何日かかけている。多分自然に馴染んでいくリズムがあるはずで、きっとそれに身を任せた方が、なんとかなるんじゃないかなと思う。

 

1年間日記を書き続けた

1年間日記を書いた。いつかのブログでも書いたのだが、友人2人とのLINEグループで、毎日日記を書き、送信しあった。それが昨日で1年経ち、とりあえず一旦終わることになった。日記の送信を忘れると、一回につき100円の募金義務が発生する、という仕組みにした。

 

累計募金額は800円。365日中、8日忘れたことになる。といっても、日記の内容が「死」「麻雀」「ダメ」といった単語のみの日もあったので、内容に量が伴っているかはわからない。人間的な活動をした日には量と質は上がっているのがわかる。読み返すと、明らかに鬱傾向がある人の文章だなと思う。いやどうにもできないけれど。

 

日記を送る生活は、とりあえず習慣にはなったと思う。LINEで、リマインくんという公式アカウントをリマインダーとして使い続けた。リマインくんのアカウントに「〇〇(タスク名)」→「通知時刻」を送信すると、指定した時刻にタスク名をLINEで送信してくれるという、優れたリマインダーアカウントだった。これを自動化するべく、iPhoneのショートカット機能(オートメーション)を使って、毎朝5時に「21時に「日記」という通知がされるようにセットした。リマインダーの効果というやつは舐められがちではあるが、やるとかなりの効果がある。行動経済学の本で読んだ通りだった。8/365日忘れたということは、2.2%しか忘れていなかったということで、かなり良いんじゃないかと思う。本当は1%台くらいに落とすべきな気がする。

 

日記の送信先がなくなってしまったので、これからどうしようか悩んでいるところ。とりあえず今日はこのブログを場所にした。たぶんデジタル形式で続けた方が継続しやすいと思うのだが、手書きでも、それもありなんじゃないかと思う。推敲していないけど、今日はこのあたりで。

成人式

すべてが途中の状態で中断されているかのような感覚がある。未達成のままであるいくつかのタスクが、脳のリソースを使っている。さながら特に役にも立たないのに動作が重くなる常駐ソフトのようだ。机の上にある『「非モテ」からはじめる男性学』は70%読んだところで止まっている。借りた『読んでいない本について堂々と語る方法』は、借りるのが2回目にもかかわらず、50%しか読んでいない。また、累計3回借りている『日常的実践のポイエティーク』は、10%も読んでいない。

 

読んでいない、という状態にも様々ある、グラデーションがある、というのは、『読んでいない本について』を半分ほど流し読みしたので知っている。まあ、前書きと目次と後書きをさらっと読めば、読んだ、と分類しても良いかもしれない。ともかく、そういう、借りた・買ったはいいが全編流し読みをしていない本の数々が、脳のリソースを喰っているような気がする。あとは、OSの再インストールに失敗し、もう起動できそうにもないノートパソコンのこととか、8話まで見たはいいもののその後を見れていないアニメとか、もうすぐ劇場公開が終わりそうな映画とか、ウォッチリストにとりあえず入れた映画のこととか、人間関係、親族関係、就職、労働、金銭、努力、未来、a beautiful star......。脳のリソースのショート(不足)は、一向に解決しない。これらのことを考えるだけで頭が痛くなる。酒でも飲んで意識を飛ばしてしまおうか。

 

今日は2023年(令和5年!)1月8日。成人式に出席した。きちんと出席するために、年明けから生活リズムを整えてきた。朝に起き、夜眠る。朝にはインスタントのコーヒーを淹れて、日経電子版を読む......のような。その間、風呂に入れなくなったり、歯磨きをする前に寝てしまったり、過去最大級の異常な眠気に襲われることがあったにせよ、ともかく、今日は6時にむくりと起きれたのだった。

 

成人式には出席しようと、前々から考えていたが、だんだん、嫌になっていく自分もいた。いや、当日の朝だって、めんどくさいめんどくさいといいながら、約2年ぶりのネクタイに挑戦するなどしていた。シラフでは行けないと踏んで、コーヒーを二杯飲んで、カフェイン酔いを起こすことにした。コミュニケーション能力を一時的に向上させる方法は、徹夜か、カフェインか、である。

 

何が嫌だったのか。それはやはり、同年代の成功、いや、単に、自分より幸せそうで豊かな人間を、自分から見にいくのがつらかったのかもしれない。彼らを一瞥すれば、容姿だとか服だとか喋りかたとか、色々なもので、自分より優れていそうだ、文化資本社会関係資本がうんぬん、と考えてしまう。そういうのが嫌だったのもある。

 

というよりかは、単に、自分の漫然さというか、消極性、主体性のなさを、同年代の人間を見ることで再認識してしまうのが怖かったのだ。恐ろしかった。手に職のあるもの、目には見えない幸福を生きているもの、中学卒業からの5年間、確かなものを積み重ねてきたもの。つまりは、自分の無能がはっきりしてしまうことが怖かったのだ。これまで、積み重ねを放棄し、挑戦から逃げ、他人より優れている部分を作り出すために相手を見下したりするような、自分と出会ってしまうことを......。

 

そう、恐ろしかったのだ、旧友や恩師と顔を合わせられる(コロナ禍だからそれはいっそうに!)ことは素晴らしいことだし、少しは、元気な自分の姿を見せたいというのもあった、それは本当に素晴らしいことであるはずだ。が、しかしそれと同時に、自分の無能が明らかになるという、自分が避けてきたものそれ自体に対面することにもなることが予想された。それが、嫌だった。

 

自分に確かなものが何もないという感覚を抱えながら会場に向かった。徒歩で30分ほどだった。革靴を履いていたが、歩ける距離だと思った。直接、成人式に向かう、という意識では気分が盛り下がる一方だったので、たまたまスーツと革靴で散歩をしていたら、成人式の会場に迷い込んだ、という気持ちで家を出た。

 

会場までの道のりはひとりだったのだが、会場に近づくにつれ、スーツ姿の男7人が自分の前を歩いているのに気づいた。ちんたら歩くな、と思いつつ、抜かすわけにもいかず、一定の距離を保ちながら進んだ。会場につくと、遠目に友人の姿が見えたので、とても安心した。

 

それからは旧友、と言っても年に何度か会う人が多かった、と幾らか話をした。人生がつらい、みたいな話もした気がする。中略してしまえば、式に出て良かったという思いが勝つのだが、しかし、つらい、帰りたい、という思いも、はじめのうちあった。

 

自分の無能が、無能さとの対面が不可避になり、ひたすらつらく、小中学生時代のトラウマのフラッシュバックもあった。何より、もうすぐ10代が終わるという不安に駆られた。20歳になれば取り返しがつかなくなる!という思いが漠然と強くなった。何の取り返しかはわからない。人生とか無能さとか、その辺の言葉を雑に代入できる。これは1日を終えて、日記を書いている今でさえある。もうすぐ何かが書き変わって、永遠に変更不可能になってしまう、という、謎の焦り......。

 

式については、暖房が効いていて二酸化炭素濃度が高くつらかった、くらいか。久しぶりに式と呼ばれるものに参加したので、式というやつはこういう時間感覚だった、ということを思い出したりした。

 

終わった後はお世話になった先生や、何年も会っていない人と話したりして、会場を後にした。友人とカラオケに行った。おしまい。

 

行く前は嫌だと思っていても、行ってみれば案外楽しい、ということがある。今回もそのケースだった。オチのない文章だし、カットしたところもあるが、今日はこのような感じだった。