nakoは生きものだ

消費者、日記

チル

今日は落ち着いている。気持ち悪いくらいに。あんまり体は動いてくれない。スマホを触るので精一杯だ。

 

何年も電車通学だったからか、その適応の結果なのか、気づかぬうちにスルースキルが上がっていたらしい。 他人の行動へのスルースキルも、自分の状態へのスルースキルも。

 

動悸がしているはずなのに、なぜか脳がそれを無視している。体の声を脳が認識していない。動悸がしながら、朝、起きていたのはおかしかったんじゃないのか。いや、絶対におかしい。健康診断を2年連続で受けていないのは?絶対におかしい。度が合っていない眼鏡をかけ続けていたのは?おかしい。乱視だと推測されるのに眼科にかからなかったのは?中学の体育で、野球のボールを踏んで後ろに転倒し、一時的な失明状態になったのは?なんだ?何がおかしい?なんでおかしい状態を放置してきたんだ?

 

そういう自分のおかしさを全部正したい。どう考えたって、自分だけがおかしい。簡単な診察と採血なら何度もされてきた。異常はない。健康診断もパスできていた......少なくとも2年前までは。まあ、端的に言って、僕も老けたということなんだろう。最近めっちゃ抜け毛と白髪目立つし。あと老け顔だったし、随分前から。

 

日テレで『妖怪人間ベム』の実写ドラマ版が放送されていたのは、2011年10月のことらしい。僕はその年、つまり東日本大震災があった年は小学校低学年のはず。けれどその時から「早く人間になりたい」という思いが、僕の中にもあったんだろう。人間としての標準を早く満たしたかった。自分が外れ値だという感覚。その頃は統計のとの字も知らなかったので、このような比喩は適切ではないのかもしれませんね。

 

小学5、6年生のとき、私立中学へ受験する人がいるということも、たぶん当時よくわかっていなかった。中学受験について、詳しく誰かに教わった記憶もない。教わったとしても、今の自分の記憶にはない。

 

家族はそういう話を一切しなかったと思うし(もちろん経済状況などが関係していたのだろう)、通っていた塾はすぐ辞めてしまった。中学受験が身近ではない環境だった、それだけの話なんだろう。当時、自分そういうことができる状況でもなかったし。

 

まあなんというか、そういう話なんだ、これは。自分の歴史は自分にとって断片的すぎて、断続的すぎて、まるで一つの繋がった物語のように雄弁に語ることができない。でもきっと自分の歴史の再解釈はできるのだと思う。例えばこのように。一体、過去の自分と現在の自分を繋ぐものは何か。......それは「貧困」で十分な回答になってしまうと、今は思うのだけど。あ、ところでSDGsの17の目標のうち、1番目は「貧困をなくそう」です。うーん、激しく同意します。そんなもの消し去ってしまっていい。もし持続可能性を考えるなら。

 

適切な場で適切に振る舞えないから苦しいと思ってしまうんだろうな、と思う。適切な場(界)への接続も、その場(界)における振る舞いもできない。能力不足です。人間、というか現代日本人(主語が大きい)としての要求を満たせていない。満たせたことがあるのか覚えていない。「あ、自分は今良くないことをして/言っている」と、ほとんど即時的な自省をするけれど、それが活かされることはない。仕方ない。

 

チルすぎ。あ、チルアウト飲みたい。