nakoは生きものだ

消費者、ティーンエイジの残弾、日記

夏に向けて

梅雨だ。梅雨なのに最高気温が30度近いのはおかしいと思う。と言ってもそういうおかしいことがこれからどんどん正しくなっていって、スタンダードとして固定化されていくことを思うと、わざわざおかしいと言うこともバカバカしくなる。口を開くのが億劫だ。文字を書くのも。

 

夏がやってくるのだ。梅雨が明け、人を殺すような猛暑がやってくる。わくわくタイムですね。きっと今年の夏は特段外出自粛が叫ばれないだろうから、誰にとっても良い夏になるはずだろう。楽観的な予想とならなければ良いが。

 

まあそんなことはどうでもいいのだ。

 

この夏、いや冬も、いくら電力不足で節電が叫ばれようと、もし電力不足で人が死のうと、たぶん自分は知らない顔で日々を過ごすと思う。罪悪感もないだろう。これが人殺しの顔をするということなのだろうか。

 

そういうことにひどく疲れてしまったのだった。そういうこととはどういうことか。自分でも詳しくわからない。自粛をめぐるゲームにも疲れ果てたし、インターネットで日々行われる対立にも、単なる言及の発生にも。詳しいことは本当にわからないのだが、疲れた。

 

これからは節電をめぐるゲームが話題になる。どうして節電しないのですか、とか、完全な善意で節電をする人々と、一般的に見れば自分勝手な行動が、何よりも最適だと認識して動く人々と。くだらない言い争い、ハッシュタグを使った一体感の顕示、節電方法をプッシュするメディア、それからそれから。あーもう疲れた。

 

勝手に自分で未来を考えて、先取りしてわかったようなフリをするのが癖になっている。早くやめるべきだと思う。

 

言いたかったのは(あるいは言ってしまったのは)ふたつだ。ひとつ、私はひどく疲れてしまった。そしてそれは現在進行形である。ふたつ、私は人殺しの顔をするだろう。本意か不本意かはともかく。