nakoは生きものだ

消費者、日記

手触りがないような

あらゆることに対する手触りがなく、個別具体的なものを操れている感じがない。そして、最近特にそのことに悩んでいる。

 

身体性という便利なタームを使ってしまうが、なんというか......何にしても、「ものにできていない感じ」。例えば書くこと。

 

自分で納得できる文章を書くことも、そもそも締め切りに間に合わせることもできないでいる。身体と書くことがなじまず、「言葉を操る」ことの困難にぶち当たっている。

 

であれば喋ることもそうで、......「うまくコミュニケーションが取れない」だけならまだ良いが、そのコミュニケーションそのものに自分が馴染めていない違和感がある。言ってしまえば、「どうして今そのようなことを自分で言ったのかわからない」のような、根本的な無根拠さに襲われることもある。

 

何もかもを、個別具体的なものとして操ることができていない。書くこと、話すこと、考えること、生きること。そして、そもそもこの身体を運用すること。

 

身体を運用することが特段苦手だ。運用する、なんてかっこつけた言い方でなくとも、運動することが苦手。スポーツとか体育とか、そういう<運動>でなくとも、普段生活する上での運動も苦手だ。

 

足はよくぶつけるし、よくふらつく。水をひたすらこぼし、気管に入ってはむせる。コーヒーを白いシャツにこぼしてシミにする。飲み会の開始10分で手を滑らせて、グラスを床に落として割った時は無性に消えたくなった。実際、その飲み会の大半は外に出て冬の空気を吸っていた。

 

身体地図と空間把握が終わっている。多分それは人間以前に、動物として終わっているとは思うのだが。