nakoは生きものだ

消費者、日記

2023.4.19

朝起きる、寝たのは3時とかで、5時間しか眠れなかった、帰りの電車でこれを打っている、なぜだかほとんど限界な状態だ、何せ乗り換えの足が遅すぎた、歩幅が短すぎた、これらは明確に疲労あるいは限界のサインだ、

 

疲れるほど大したことはやっていないが、疲労の原因はサウナに入ったことだと思う、授業終わりに最近湯船に浸かっていなかったからとサウナスパに行き、お湯に浸かることを第一目標にしつつ、サウナもそこそこに楽しんだ

 

が、僕とサウナの相性は悪い、3セットもするとだるくなるし、一時的に耳がおかしくなる、だから1セット5分もないような浅いサウナを楽しんでいる

 

が、やはり水分が体から抜けた感じが大きいのか、まあだいたいだるくなる、今日は風呂上がりはだるくなかったけれど、自習室で英語の論文を漁っていたとき、ずん、と肩に疲労の塊が乗っかったような感じがした、ほぼ同時に右目の炎症がひどくなった、体と心がだるさでいっぱいになり、自習室を後にした

 

駅まで足を引きずって、途中のドラッグストアに入って、いろいろ買わなければいけないものがあったはずだ、もう実質ない歯磨き粉にもう実質ない化粧水、もう時期汗を書く季節なのだから制汗剤、それからとうの昔に切らしている日焼け止め、いろいろあったのに買わなかった、店には入れたのだけど、色んな商品を見て比較検討する認知リソースが余っていなかった

 

本当に僕がやるべきこと(「本当にやるべき」とか「本番」とかいう言葉はなるべく使いたくない、なぜならそんなものはないから)は、日記じみた文章をスマートフォンに入力することではない、いやむしろ全く真逆だ、スマートフォンを捨て去って、認知リソースの回復を目指して、今まで無駄にしてきたいくつもの訓練の機会を取り返す──まではいかなくとも、毎日それなりに過ごせるようなことにリソースを割かなければいけない、効率的な紐の結び方とか(それはどうなのだろう)、事務手続きの苦手をなんとかしたり、締め切りを守れるようにしたり、朝わーわー言わずに準備をしたり、病院に行ったり、睡眠の質を向上させたり、それこそまさに就活(くそったれ)みたいなこともそうかもしれない

 

高校時代の国語の少人数授業のグループワークかディスカッションか何かで、以前から思っていた「自分は毎日をやり過ごすように生きている」と発言したことをよく覚えている、それは3,4年経った今も変わっていない、毎日をなんとかやりすごし、将来の──というより明日の予定も1週間の予定も今月の予定もよくわからないし、さらに言えば何かを計画し、実行する能力が乏しく、またその訓練の機会を眼前に示されながらもことごとくスルーし続けた自分という、無能で性根の腐った人間に飽き飽きする、そういうふうに自分を評価しているのも、なんというか、やめた方がいいように思う、

 

疲れた体でパスワード変更の手続きを2回もした、ストレス、

 

疲れ果てた状態でリクナビに登録して、もうどうでもいいので何もかもを終わらせてください、と思った、住所入力の数字が全角入力を求められただけでイライラしている、なんなの

 

また乗り換えだ、階段で転ばないようにしたい、そう、僕は階段で転ばないように、ただ水を飲むだけでむせないように、気づかないうちに靴紐がほどけないように、そういう風に生活を送りたい、

季節の話

春は花粉があるから生きづらい。絶賛花粉症の症状に苦しんでいる。部屋に篭るだけならいいが、外に出て、特に電車に乗ると酷くなる。人の服についた花粉が.......というやつだ。今では電車は窓を開けて空気の入れ替えをしているが、それはむしろ花粉を取り込んでいるのではないだろうか。

 

自分の花粉症の症状は主に目と脳みそで、起きると目が辛い(いわゆるモーニングアタック?)(ハウスダストなだけかも)ことがほとんどだ。鼻にはあまり出ない。大抵は頭が痛くなって気が狂いそうになる。脳が痒い。この前は本当に気が変になってしまって、1時間ぐらい「あーー!!」とか叫んでいた。

 

電車という花粉増加マシンにかけられると、度が超えているのか、鼻にまで症状が出てしんどくなる。今ちょうど電車に乗りながらこの文章を書いています。

 

眼科に行くべき。いや花粉症なのだから耳鼻科か?

 

夏は暑い。生きづらい。

 

秋は一番過ごしやすい。季節の変わり目には体調を崩すけれど、それを乗り越えさえすれば、適切な服装に悩むくらいで、楽だ。ただ秋は一瞬で過ぎ去る。秋かな、と思ったらすぐ冬に入る。短すぎる。四季と言うのだから、3:3:3:3ヶ月ごとに振り分けられていて欲しいものだけど、実際は春から2,5,1,4の感覚だ。春は2ヶ月経てば暑くなってきて夏を感じ、夏はひたすら暑さが続き、涼しくなってきたと思ったら秋は一瞬で過ぎ去って、寒い月が続く。

 

冬は寒い。日照時間が減る。鬱ぎみになる。最悪だ。僕は昔、冬が好きだったはずなのだけど。

 

日記の話だが、2月の間は全く書けなかった。送信する場がなくなったら途端に続かなくなった。3月は何日かかけている。多分自然に馴染んでいくリズムがあるはずで、きっとそれに身を任せた方が、なんとかなるんじゃないかなと思う。

 

1年間日記を書き続けた

1年間日記を書いた。いつかのブログでも書いたのだが、友人2人とのLINEグループで、毎日日記を書き、送信しあった。それが昨日で1年経ち、とりあえず一旦終わることになった。日記の送信を忘れると、一回につき100円の募金義務が発生する、という仕組みにした。

 

累計募金額は800円。365日中、8日忘れたことになる。といっても、日記の内容が「死」「麻雀」「ダメ」といった単語のみの日もあったので、内容に量が伴っているかはわからない。人間的な活動をした日には量と質は上がっているのがわかる。読み返すと、明らかに鬱傾向がある人の文章だなと思う。いやどうにもできないけれど。

 

日記を送る生活は、とりあえず習慣にはなったと思う。LINEで、リマインくんという公式アカウントをリマインダーとして使い続けた。リマインくんのアカウントに「〇〇(タスク名)」→「通知時刻」を送信すると、指定した時刻にタスク名をLINEで送信してくれるという、優れたリマインダーアカウントだった。これを自動化するべく、iPhoneのショートカット機能(オートメーション)を使って、毎朝5時に「21時に「日記」という通知がされるようにセットした。リマインダーの効果というやつは舐められがちではあるが、やるとかなりの効果がある。行動経済学の本で読んだ通りだった。8/365日忘れたということは、2.2%しか忘れていなかったということで、かなり良いんじゃないかと思う。本当は1%台くらいに落とすべきな気がする。

 

日記の送信先がなくなってしまったので、これからどうしようか悩んでいるところ。とりあえず今日はこのブログを場所にした。たぶんデジタル形式で続けた方が継続しやすいと思うのだが、手書きでも、それもありなんじゃないかと思う。推敲していないけど、今日はこのあたりで。

成人式

すべてが途中の状態で中断されているかのような感覚がある。未達成のままであるいくつかのタスクが、脳のリソースを使っている。さながら特に役にも立たないのに動作が重くなる常駐ソフトのようだ。机の上にある『「非モテ」からはじめる男性学』は70%読んだところで止まっている。借りた『読んでいない本について堂々と語る方法』は、借りるのが2回目にもかかわらず、50%しか読んでいない。また、累計3回借りている『日常的実践のポイエティーク』は、10%も読んでいない。

 

読んでいない、という状態にも様々ある、グラデーションがある、というのは、『読んでいない本について』を半分ほど流し読みしたので知っている。まあ、前書きと目次と後書きをさらっと読めば、読んだ、と分類しても良いかもしれない。ともかく、そういう、借りた・買ったはいいが全編流し読みをしていない本の数々が、脳のリソースを喰っているような気がする。あとは、OSの再インストールに失敗し、もう起動できそうにもないノートパソコンのこととか、8話まで見たはいいもののその後を見れていないアニメとか、もうすぐ劇場公開が終わりそうな映画とか、ウォッチリストにとりあえず入れた映画のこととか、人間関係、親族関係、就職、労働、金銭、努力、未来、a beautiful star......。脳のリソースのショート(不足)は、一向に解決しない。これらのことを考えるだけで頭が痛くなる。酒でも飲んで意識を飛ばしてしまおうか。

 

今日は2023年(令和5年!)1月8日。成人式に出席した。きちんと出席するために、年明けから生活リズムを整えてきた。朝に起き、夜眠る。朝にはインスタントのコーヒーを淹れて、日経電子版を読む......のような。その間、風呂に入れなくなったり、歯磨きをする前に寝てしまったり、過去最大級の異常な眠気に襲われることがあったにせよ、ともかく、今日は6時にむくりと起きれたのだった。

 

成人式には出席しようと、前々から考えていたが、だんだん、嫌になっていく自分もいた。いや、当日の朝だって、めんどくさいめんどくさいといいながら、約2年ぶりのネクタイに挑戦するなどしていた。シラフでは行けないと踏んで、コーヒーを二杯飲んで、カフェイン酔いを起こすことにした。コミュニケーション能力を一時的に向上させる方法は、徹夜か、カフェインか、である。

 

何が嫌だったのか。それはやはり、同年代の成功、いや、単に、自分より幸せそうで豊かな人間を、自分から見にいくのがつらかったのかもしれない。彼らを一瞥すれば、容姿だとか服だとか喋りかたとか、色々なもので、自分より優れていそうだ、文化資本社会関係資本がうんぬん、と考えてしまう。そういうのが嫌だったのもある。

 

というよりかは、単に、自分の漫然さというか、消極性、主体性のなさを、同年代の人間を見ることで再認識してしまうのが怖かったのだ。恐ろしかった。手に職のあるもの、目には見えない幸福を生きているもの、中学卒業からの5年間、確かなものを積み重ねてきたもの。つまりは、自分の無能がはっきりしてしまうことが怖かったのだ。これまで、積み重ねを放棄し、挑戦から逃げ、他人より優れている部分を作り出すために相手を見下したりするような、自分と出会ってしまうことを......。

 

そう、恐ろしかったのだ、旧友や恩師と顔を合わせられる(コロナ禍だからそれはいっそうに!)ことは素晴らしいことだし、少しは、元気な自分の姿を見せたいというのもあった、それは本当に素晴らしいことであるはずだ。が、しかしそれと同時に、自分の無能が明らかになるという、自分が避けてきたものそれ自体に対面することにもなることが予想された。それが、嫌だった。

 

自分に確かなものが何もないという感覚を抱えながら会場に向かった。徒歩で30分ほどだった。革靴を履いていたが、歩ける距離だと思った。直接、成人式に向かう、という意識では気分が盛り下がる一方だったので、たまたまスーツと革靴で散歩をしていたら、成人式の会場に迷い込んだ、という気持ちで家を出た。

 

会場までの道のりはひとりだったのだが、会場に近づくにつれ、スーツ姿の男7人が自分の前を歩いているのに気づいた。ちんたら歩くな、と思いつつ、抜かすわけにもいかず、一定の距離を保ちながら進んだ。会場につくと、遠目に友人の姿が見えたので、とても安心した。

 

それからは旧友、と言っても年に何度か会う人が多かった、と幾らか話をした。人生がつらい、みたいな話もした気がする。中略してしまえば、式に出て良かったという思いが勝つのだが、しかし、つらい、帰りたい、という思いも、はじめのうちあった。

 

自分の無能が、無能さとの対面が不可避になり、ひたすらつらく、小中学生時代のトラウマのフラッシュバックもあった。何より、もうすぐ10代が終わるという不安に駆られた。20歳になれば取り返しがつかなくなる!という思いが漠然と強くなった。何の取り返しかはわからない。人生とか無能さとか、その辺の言葉を雑に代入できる。これは1日を終えて、日記を書いている今でさえある。もうすぐ何かが書き変わって、永遠に変更不可能になってしまう、という、謎の焦り......。

 

式については、暖房が効いていて二酸化炭素濃度が高くつらかった、くらいか。久しぶりに式と呼ばれるものに参加したので、式というやつはこういう時間感覚だった、ということを思い出したりした。

 

終わった後はお世話になった先生や、何年も会っていない人と話したりして、会場を後にした。友人とカラオケに行った。おしまい。

 

行く前は嫌だと思っていても、行ってみれば案外楽しい、ということがある。今回もそのケースだった。オチのない文章だし、カットしたところもあるが、今日はこのような感じだった。

もっと、ちゃんと

寒い。スマホフリック入力する手が遅い。今電車に乗っている。目の前に短パンを履いた小学生男児がいる。寒そうだと思う。

 

これはフリーライティングだ。フリーライティングだと宣言することは、もしかしたらフリーライティングではないのかもしれない。とはいえこれはflee writingでもある。危険から逃げる試み。escape の方が適切な表現だ。諸問題からの逃避なのだから。

 

寝ずに家を出て、駅に着いて、Newdaysでガムを買ったところで、左の鼻から鼻血が出た。数時間前にも一度出ていた。これは古傷が痛むことで年に数回発生する、季節性鼻血である。おそらく季節の変わり目とか気圧とかに反応しているのだと思う。事前の対処法はない。急に出るから。だいたいは5-10分ほどで収まるのだが、問題は勢いである。一般的な鼻血がどのようなものかわからないが、自分のそれはもう少し大量であると思う。6時間以内に二度鼻血を出したので、若干の貧血を感じている。脳が重い。喉の辺りからは血の味が。炭水化物は取れない。とにかく安静に。take care of yourself!

 

今日のこれは、家を出る前から感じていた寒波のせいだろう。寒波を感じるという表現のおかしさ。にしたって寒かったのだ、深夜あたりから。外に出てみると寒さはいくらか視覚化されており、いつも通る空き地の草には霜が降りていた。霜が出ていた。霜。とにかく霜ではあった。

 

気圧か寒波か季節か、またそういう要因によって、、、。鼻血を駅で出した際の顛末を書くのを忘れた。マスクをしてから1分しか経っていなかったのに、マスクを鼻血で汚し、到底人前でつけられるものではなくなっていた。いや、血だらけのマスクをしていたら面白いかもしれないが、とにかく電車には乗れないだろうと思った。替えのマスクを一枚だけ用意していたので、今はそれに付け替えた。他のマスクはない。なので、今はマスクの内側にティッシュを挟むことによって、急な鼻血でもマスク本体が汚れないようにしてある。オムツや生理用品みたいなものでしょうか。それは生理用品を使う女性に失礼じゃないんですか。知りません。

 

書くようなことでもないのだが......本当に。昨日のあれこれについて、端的にいえば課題に取り組むのが遅く、甘く見積もって0点のレポートを作り、ゼミの教授に提出したことについて、私は、

 

いや、もう、いい、いいんだ、自分はまだ大丈夫。そうやって確認するのも飽きた。全部ひっくるめて、ダメだ、私は、

 

このように、文章で精神的な自傷すること、またその癖それ自体が、私がどのような人間であるかを、はっきりと教えてくれる。ここまで書いてしまったから、ちゃんと公開する。

手触りがないような

あらゆることに対する手触りがなく、個別具体的なものを操れている感じがない。そして、最近特にそのことに悩んでいる。

 

身体性という便利なタームを使ってしまうが、なんというか......何にしても、「ものにできていない感じ」。例えば書くこと。

 

自分で納得できる文章を書くことも、そもそも締め切りに間に合わせることもできないでいる。身体と書くことがなじまず、「言葉を操る」ことの困難にぶち当たっている。

 

であれば喋ることもそうで、......「うまくコミュニケーションが取れない」だけならまだ良いが、そのコミュニケーションそのものに自分が馴染めていない違和感がある。言ってしまえば、「どうして今そのようなことを自分で言ったのかわからない」のような、根本的な無根拠さに襲われることもある。

 

何もかもを、個別具体的なものとして操ることができていない。書くこと、話すこと、考えること、生きること。そして、そもそもこの身体を運用すること。

 

身体を運用することが特段苦手だ。運用する、なんてかっこつけた言い方でなくとも、運動することが苦手。スポーツとか体育とか、そういう<運動>でなくとも、普段生活する上での運動も苦手だ。

 

足はよくぶつけるし、よくふらつく。水をひたすらこぼし、気管に入ってはむせる。コーヒーを白いシャツにこぼしてシミにする。飲み会の開始10分で手を滑らせて、グラスを床に落として割った時は無性に消えたくなった。実際、その飲み会の大半は外に出て冬の空気を吸っていた。

 

身体地図と空間把握が終わっている。多分それは人間以前に、動物として終わっているとは思うのだが。

彼は今日

午前6時に起きた。昨日の就寝がおそらく昼の12時ごろだったから、約18時間寝た計算になる。生活リズムが狂っていたからとはいえ、これだけ眠れるのもおかしいように思う。睡眠中起きたのも1度だけだと記憶している。

 

深い眠りと言えたらよかったが、実際には脳に電源が入っていない感覚が続く。40分後に家を出ないと1限に間に合わなかったが、脳の空虚感と、ゆっくり準備したい思いもあり、1限は休むことにした。累計4回目の欠席だった。

 

ありがたいことに昨日作っていただいた夕食を、朝食として少しずつ食べた。スマホを触る気力も起き抜けには無く、1時間くらい放置していた。スマホの通知を確認すると、ゼミのグループLINEの通知が20、友人間で継続している日記グループは2、そして友人からのLINEは1件だった。昨日昼に寝たので、日記を送信できておらず、罰として100円の募金義務が発生した。開始以来5回目の日記忘れとなり、累計募金額は大台である500円に乗せた。500円とは大金である。ミラノ風ドリアとセットドリンクバーが注文できる金額だ。

 

メールの通知は20件あったが、そのうちの19件は確認しなくても良いものだった。たった1件確認するべきメールは大学からの呼び出しで、落とし物の通知だった。ペンケースを忘れていたようで、昨日のうちに電話がかかってきたらしい。その時間寝ていたので気づけるはずもなかった。ペンケースの中にフルネームの印鑑を入れていたので、それで自分を特定し、連絡してくれたようだ。事務室がこちらに連絡を取るために、フルネームで検索>学籍番号特定>連絡送信という手間があるはずで、本当にありがたい限りである。

 

その他には、購読している日経電子版と、大学の制度を利用して購読しているウォールストリートジャーナルからの通知が来ていた。両方ともニュースなので、速報通知とか、読まれている記事とか、レコメンドの記事とかの通知が良く来る。WSJのアプリ通知は英語なので目を通す気が起きず、全削除。日経のほうは、毎日夕方に更新される「編集者が選ぶニュース3本」だけタップして、目を通した。朝刊夕刊に含まれないニュースもあり、選ぶトピックもおもしろいので、よく読んでいる。昨日の3番目に取り上げられていたディズニーCEOの交代は、今日の朝昼のニュースでもやっていた。Disney+の会員数は増加しているようしているようだが、広告宣伝の費用や、作品制作の費用を使い過ぎているようだ。確かに、新宿駅改札内でも、Disney+の広告をこの2週間くらい見ていたし、YouTube上でも、スターウォーズやソー ラブアンドサンダーの広告がよく流れていた。納得感のある説明だ(CEO交代の主要因は株価低迷と思われる)。

 

1限を休む決定のおかげで、授業1コマ分の時間を稼ぎ(それは授業を休んだという負債の裏返しであるわけだが)、ゆっくり食事をして、適当にシャワーを浴びた。浴びたが、脳にセロトニンやらビタミンが足りない感じがした。欠乏感といえばいいのだろうか。

 

このあたりで、2限も休んでしまって、定期内にあるサウナスパにでも行こうかと考え始めた。このようなやる気のない体には、湯船とサウナが良いという経験則からだ。あるいは授業を休む口実を探していたからかもしれない。サウナスパがある駅に着いたら降りるか考えよう、と後回しにして、念の為ジップロックにタオルを入れて、バッグに詰め込んだ。

 

朝ドラが始まったくらいに家を出て(家では毎朝NHKが流れる。そういう設定を小学生の頃に自分がした)、電車に乗り込んだところで、うむ、これは温泉しかあるまい、湯船につかりサウナに入り水風呂に入りゆっくりしなければ、と決断した。今思えば、朝、体にやる気がなかったのは、やるべきことが山積していたからかもしれない。動画編集や取材先の候補をあげること、さらには本を一冊要約して発表する課題(これらはすべてゼミに関係するタスク)、同人誌の締め切りを今まさに遅延していて、冒頭800字しか書けていないこと、そもそも先週のオンライン授業の課題が未着手、などなど、本当に切実にやることが重なっていた。書いている時点でも重なっている。

 

しかしこれらのすべては、自分の後回し癖か、単に自分が無能なことによる苦しみかで発生していて、もし自分が有能で、締め切りに間に合わせる能力があれば苦しんでいなさそうではあるが、そのような過程に意味はないだろう。土日月にやっておけば良かったタスクがほとんどだからだ。

 

かくして締め切りまみれの脳内をリフレッシュするためか、サウナスパに行き、温泉に浸かりサウナに入り、水風呂を浴び健康に良さそうな湯などに浸かった。汗をかきすぎたのか、湯上がり後は30分くらいぼーっとしてた。休憩スペースのテレビでかかっていたNHKをぼーっと見ていた。W杯とイランとWTI価格の乱高下の話をしていた。

 

この辺りで大学までの列車を確認したところ(自分は今日3限まであり、3限は必修で出席もあり休みすぎていたため、サボるわけにはいかなかった)、どうやら列車遅延が発生したらしく、おそらく授業開始時刻までに教室に座っていられないことが予想された。とにかく行くしかないと思って、遅れた列車に乗った。乗換案内をひたすら更新した結果、キャンパスの門をくぐったところで授業が開始されることがほとんど確定した。ここで授業に行く気を無くした。

 

とは言っても自分は事務室に落とし物を預けていただいているので、大学に行かない選択肢はなかった。だらだらと電車に乗って大学を目指した。電車の中では、ソシャゲと、はてなブログを少しと、Bloombergの記事と、Twitterを見ていた。多分、この時間にもっと他の生産的なことができたとは思う。

 

キャンパスに着いて時刻を確認したら、予想通り授業が始まっていた時刻だった。授業に出る気を失った。遅刻するくらいなら出たくない、という謎の......性分というか、嫌悪だった。いや、実際遅刻してでも行った方が良いし、このような性格(習慣)が自分と人生をダメにしているのもわかっている。わかっているが、それでもしかし......。これが大教室による授業なら喜んで遅れて入るのだが、小さいクラス単位の教室となると、なんだか無理になってしまう。授業の流れを止めてしまうのではないかという不安や、座る席の選択、扉を開ける時の焦燥......などを考えると、扉を開ける以前に、建物に入っていくのも無理だった。結果として、キャンパスの何もない場所で、どうしようどうしよう、何をしようと考えて、そういえばペンケース、と思い出し、受け取りに行った。

 

無事受け取れたが、たしか今年の6月とか7月に去年使っていたドイツ語の教科書を紛失してしまって、もしかしたら事務室の忘れ物保管所にあるんじゃないかと思っていたが、担当の人に話を切り出せなくて、過去の落とし物コーナーをちらと見ただけで終わってしまった。今度ちゃんと行く。

 

さて今度こそどうするかと悩み、とりあえず図書館に入り、併設されているラウンジみたいなところでコーヒーを買うことにした。「自動ミル焼き」とか書かれている自販機で、今年から目にすることが増えた。100円でアイスかホットのコーヒーが買えたはずで、温泉のお釣りが120円あったので、まずこれを飲んで落ち着こう、と思った。

 

しかし見たところ、最安のコーヒーは120円と、記憶と値段が違う。まさかと思ったが自販機にあった張り紙を見ると、〈価格改定のお知らせ〉とある。値上げからは逃れられない。一気に20円上がるとなると、負担感も増える。パーセンテージに直すと20%の値上げだ。今日はたまたま120円持っていたが、次は買うかわからない。

 

少し暑かったのでアイスコーヒーを買って、図書館横にある日当たりの良いベンチの椅子に寝転んだ。日向ぼっこである。心地よい秋晴れだったので、やらざるを得なかった。そのうちにやる気......までとは言わずとも、行動ポイントが増えていった感じがあって、コーヒーを啜り、未着手のオンライン授業に取り組むことにした。授業を休んだおかげで行動ポイントを増やせたとも言える。

 

デスクトップPCが使える教室に入って、オンデマンド授業に取り組んだ。2科目あったのだが、両方とも課題の提出が明日で、今日じゃ無くても良かったな、と思った。そう思ってしまう自分が怠惰すぎて嫌になったが、とりあえず手を進めた。金融の課題が少し面倒だったが、2時間かけてなんとか進めた。終えてみると案外充実感がある。やる気というのは、やる前ではなく、やり終わった後に生まれるものなのだろう。知らないけど。

 

その後は図書館に行って、借りたはいいが期限が来て10ページくらいしか読めなかったダニエル・ミラー『消費は何を変えるのか: 環境主義と政治主義を越えて』を再度借りた。人類学者であるダニエルミラーは、ロンドンやどっかの島(どこだったっけ、進化論かフィールドワークで知られる島だったと思う)のフィールドワークをしていて、エスノグラフィーの経験があり、ゼミでやりたい分野と被るかもしれない、と思って借りた。ささっと読破したい。

 

なんとなく帰るのも面倒で、借りた本を読むべく、バスタ新宿らへんに居座って本を読んだ。そのうちしっかりとした椅子が欲しくなって、サイゼリヤに駆け込み、ミラノ風ドリアとドリンクバーを注文、1時間強を過ごし、ようやく1章を読み終わる。本を読むには時間がかかるという、当たり前のことを忘れるくらいには、最近本を読んでいなかった。嘘です。リコリス・リコイルのライトノベルだけは読みました。

 

それからは電車に揺られながらTwitterと、この日記を書いた。少し端折った箇所もあるが、おおよそはこのような1日だった。授業をサボって温泉とサウナを堪能し、列車遅延により授業開始に間に合わず、大学にいたのに日光浴や他の授業の課題を進め、帰りにはサイゼリヤに行った。タスクは2つばかりしか進んでいないが、温泉と日光浴が良かった。今度からはより一層日光を浴びようと思う。なるべく日焼け止めはして。