この頃、「早く楽になりたい」という思いに駆られることがある。具体的なことはほとんどわからないまま、楽になりたい、楽にならなければならない、という強迫観念に駆られる。
楽になりたい、の内実はあまりわからない。でもそう思ってしまうのだ。苦しみから解放されたい、で合っているようには思えない。ただ純粋に、楽になりたいのだと思う。
死ぬことが楽になることに直結するとは思わないから、たぶん死にたいわけではないのだ。死よりもっと楽になりたい。ならなければならない。
この強迫観念にどう対処すればいいのか、いまだにわからない。点滴を打たれれば楽になるだろうか、とは思うけど。とりあえず大学の学生支援室に行ってみるべきか。しかし相談するにしてもどのように自分を語ればいいのか。「早く楽になりたいんです」などと語りだしても、ははあ、としか思われないし、向こうも困るだろう。予約だけしてみるか。
強迫観念を根本から消すのは難しいと思うから、しばらくは、一時的な解消を目的にしたい。
今思いついたのは、とにかく後回しにしていること、特に課題群をすぐさま処理し、キープしているタスクを無くすことだ。そういう、「やらなければいけない」のに後回しにしていることを、さっさと崩していく。余裕を作る。余裕になる。楽になる。楽になってやる。楽になろうとすることが楽になることかもしれない。現状に甘え続け、自己を欺瞞することをやめること。
数週間そのままにしてきた文字起こしのタスクを今からやる。全部終わるまで寝ない。こういうときは言い換えましょう、全部終わったら寝る。
まず学生支援室の予約をする。予約、の申し込みをした。一週間以内に電話がかかってきて、それから色々決めるらしい。電話か。こういうのは電話じゃないほうが行きやすいように思います。
よし、いよいよ文字起こしのあれを綺麗にするぞ。楽になる。楽になるべく、楽になる方法をとります。楽になって、ようやく幸福に必要な土台が安定するだろうという直感がある。何よりもまず楽になる。もっと言えば、この表現が正しいかはわからないが、回復する。回復してからはじめて、色々始められる。そのはずだ。
追記 結局家を出るまで時刻までに文字起こしが終わらなかった、けど時間単位で言うと30分/90分は終わったとは思う。ひとつ目に取り組んだ文字起こしのデータが、音声入力に一度かけたのにも関わらず全然形になっていなくて、実質一から文字起こしを始めることになっていた。だらだらTwitterを見ながら作業を進めた結果、15分の文字起こしに3時間かかった。直接作業時間で言えば2時間くらいだろうか。
もうひとつのデータは一度音声入力にかけたのがほとんど完璧(理想的)(もちろん手直しする箇所はあるけど)だったので、これも録音時間は17分程度だったのだが、小一時間程度で終わった。
なぜこのような差がついたのかというと、スマホのマイク/スピーカー性能が、ここ数週間の度重なる落下によって、低下してしまっている、というのが一つありそう。あるいはiPhoneでボイスメモを流しつつiPadに音声入力する手順、特にその二つの位置関係が悪かったとか、もありそう。スマホ買い換えるべきだしカバーをつけるべきだしまず落とすなと言いたい。こういうところも見直して楽にならなきゃ。